プロフィール

実 名  南平 秀生(なんぺい ひでお)  蟹座 生まれ
 1948年7月2日、伊勢市の前身、宇治山田市に生まれる。


沢野夏穂(東京のグリーンバード・スタジオにて)少年時代、祖父の影響を受け小動物や野鳥、昆虫に関心を寄せ、小学校4年生の頃、石に興味を持ち鉱物採集を開始する。以後、明倫小学校時代は、孫福 正先生(教諭、植物学者。1907年〜1987年)に理科の指導を受ける。


又、実家の近くに柔・剣道の伊勢市民道場があり、小学校5年生より剣道を学び、中学1年生の時に三重県少年剣道大会(個人戦)で優勝。その後も剣道を続け、現在に至る。(この間に、三重県剣道段別選手権大会・三段の部で優勝、同、四段以上の部で3位入賞、昭和53年に剣道五段、練士の称号を授与される)


中学1年生になって、古賀メロディー等をよく聴かせてくれた父親の影響なのか、音楽好きが加速し、作曲を始める。2年生になって、書店で「楽典」を買ってきて、独学で楽譜を書き始める。


1964年4月、三重県立宇治山田高等学校(普通科)に進学、1967年3月卒業(19期生)。

高校2年生の春に仲間とともに剣道部を創設。初代キャプテンとなり、2年生の夏前、インターハイ県予選大会個人戦準優勝、3年生の時に同、個人戦優勝と、2年連続インターハイ(個人戦)に、三重県代表として出場。他、2年生の最後に、三重県高校新人剣道大会(個人戦)で優勝。


卒業後一旦、民間会社に就職するも、地学への向学心から程なく退職し、半年の自宅浪人を経て日本大学文理学部応用地学科に進学。鉱物学を専攻し、学部にて木下亀城先生(鉱物学者、理学博士。1896年〜1974年)の薫陶を受ける。木下先生の紹介で、櫻井欽一先生(都内の鉱物学者、理学博士。1912年〜1993年)に巡り逢い、終生知遇を得る。さらに、木下先生と櫻井先生の紹介で日本地学研究会の前身である日本礦物趣味の会に入会し、京都在住の益富寿之助先生(日本礦物趣味の会主宰、薬学博士。1901年〜1993年)に指導を仰ぐ。


大学時代は、一時下高井戸の岡田道場に通うも、椎間板ヘルニアを発症し、剣道を断念。その後、ギターにて作曲を続け、浜口庫之助の作曲教室(通信講座)を受講するも、大学紛争のあおりを受けて中座。


1972年3月、日本大学卒業。

卒業後は、三重県立鳥羽高等学校の非常勤講師(1年間)を経て、三重県立長島高等学校の理科教諭となる。以後、鳥羽高校、松阪工業高校、松阪高校の理科教諭を歴任、2006年3月に、14年間勤務した松阪高校を最後に早期退職し、33年間の教員生活を終える。


1990年頃から、教職のかたわら通信教育講座の秋元康作詞塾、及び日本音楽スクールの作曲講座を受講、2講座ともに修了する。1998年頃より公務のかたわら作曲活動を再開し、新人作詞家・作曲家の会「シルクロード」(北村英明主宰)に入会し、これまでに書き溜めた楽曲のリライトや新作の歌謡曲(作詞・作曲)を機関誌等に投稿。その後、日本作曲家協会会員となり、作曲家として楽曲のC.D化を進める。


退職後は、伊勢市横輪町の町興し事業に寄与し、新人歌手、中西里絵の歌う「横輪桜音頭」(作詞)、並びに「横輪の里恋歌」(作詞・作曲)を制作。さらに、冊子「横輪の山里散策ガイド」等も執筆する。以後はフリーで自然石の研究と創作活動を続け、地学のフィールド・ガイドや歌謡曲等の制作を行ないながら、現在に至る。


<所属協会等>
(社)日本作曲家協会会員
(社)日本音楽著作権協会会員