地球が太陽の周りをまた一周した。この一年間に、私たちの住む街や村の際立った環境変化は殆ど無いように見える。これはおそらく宇宙から見た地球全体についても言えるだろう。だが、地表の変化は確実に進行している。「地球」という惑星の表面は、ここ1〜2世紀の間に、人間の知的(産業)活動によって、目覚しく、確実に不可逆的変化を遂げて来ており、現在も進行中である。これは「地球生態系」の破壊にほかならない。
私たちの日常生活や一生とは別の時間的スケールで、この惑星の行く末を考えてみると、未来の姿が見えてくる。地球の海や湖などのように、地表の大半が液体状態の "H2O "に富み、程よい表面温度とその保温システムを備えた惑星の形成が、宇宙での恒星系(系外惑星系)の形成プロセスにおいて、類似条件下ではごく当たり前に起こることが解って来ている。現在では、宇宙の重力場(原始雲の中)において、原始太陽系と酷似した初期条件(物質的、質量的、スケール的、熱変化的、etc.)が整えば、地球のような生命を宿す"惑星 "の発生は、ごく付随的な普遍現象として生じるものと考えられている。
その結果、どの恒星(ただし、太陽タイプ)・・・ 惑星系においても、保有惑星の10分の1程度に生命は発生し得ると考えられ(太陽系では、小惑星を一つとしてカウントして加えれば、「地球=10分の1」となる故)、その後は地球の地質時代に見るような悠長なまでの生物進化の歴史を辿り、やがては類人猿のような高等動物を経ての知的文明の形成を黎明とし、ごく短期間に電脳化ネット社会システムの構築と、大気圏外への離脱科学等をベースとする生活環境となり、そのような"社会進化 "を生じさせる知的な高等生命体の出現に至るであろうことは、容易に想像できる。
文明のグレードが、あるレベルに達するまでのプロセスにおいては、どの知的生物を宿した惑星も、地表はその産業活動や交通網の発達等によって、地球と同じような宿命を辿るものと考えられる。現在の宇宙科学での惑星としての地球の位置づけは、この生命にあふれる美しい自然環境豊かな一介の星が、特別な理由で形成された「特殊な惑星」である事を否定し、いわゆる「バイオスフェア」(惑星上の生命圏、または生物圏)を備えた惑星は、銀河系内だけでも至る所に存在することを肯定している。
ただし、現在の科学技術では立ち入りも、越える事も出来ない広大な時空スペースが、私たちの見上げる星空には広がっている故、系外惑星(太陽系以外の惑星)が次々と見つかっても、知的文明を宿すかどうかの直接的な見極めは到底出来ない。おそらく未来の科学でも不可能であろう。そこで、地球外の知的生命体の探査は、知的文明が発する自然界にはあり得ない情報電磁波(電波の信号)をキャッチすると言う、間接的な方法が唯一の手段となる。そのような試みは、巨大なパラボラアンテナ(電波望遠鏡)を使って開始されており、既に半世紀近くになる。
また、逆に地球発の情報(人間の存在をアピールするようなメッセージ)を載せた特殊な波長(λ=21cm)の電波を、近距離の太陽とよく似た性質の単独恒星(エリダヌス座のε星など)に向けて発信もしているし(アレシボ・メッセージ)、系外宇宙へ放出されてゆく探査機(パイオニア、ボイジャー、他)にも、地球の様々な情報を記憶させた金属プレートを持たせている。
私たちは、このような方法でしか、宇宙の"知性体"(知的生物)の存在を知る事が出来ないのであるが、ここで重大な問題にぶつかる。私たちの科学志向へのあこがれと精神文化がそのようにさせる事への、「経費」の問題である。至便化社会生活のいっそうの安定享受者と貧困層が要求する「庶民生活最優先」の考え方の発生 ・・・、 非価値意識の蔓延 ・・・である。「そんな夢のような事にお金をつぎ込んで、一体何になるのか?」「やがて訪れる飢餓社会に目を向け、備蓄せよ ! 」と言うような民衆の叫びである。だが、発明・発見や、近代文明への経済効率化システムが、知らず知らずの間に地球外空間へ放った無線波やラジオ波、テレビ電波等がある事を忘れてはならない。そして電化時代の歴史の経過とともに、その広がりはおよそ数10光年の彼方へと及んでいる。
地球を発信源とするこれらの非自然電波は、弱まりながらも球面波として、既に数10光年先にまで届いてしまっている訳である。もし、その空間に高感度の受信アンテナを持ち得た「知性体」がいたとしたら、どこかでキャッチされているかも知れない事になる。ただし、半径数10光年の球内のスペースには、系外惑星を持つ太陽酷似の恒星は、数個しか無い。世界中のパソコン・ネットが監視する中、未だに宇宙発の返信メッセージもキャッチされていなければ、未知の怪電波が地球をかすめて行った事すら無い。さらに、近未来においても、このような」未知の知性体との遭遇」がなければ、この事は、電脳化ネット社会に行き着いた知性体の「系外文明探査思考の短命さ」を物語っており、イコール、惑星上の「知的文明そのものの短命さ」を意味しているのかも知れない。
だとしたら、地球文明も、近未来にカタストロフィー(破局、大異変)が起こらなくても、人類の成しえた文明のピークは間近であり、その後はあらゆる事象において「弱肉強食型」社会となり、食料や資源の争奪戦はもとより、国家間の共食い現象を経て、1万数千年しか寿命の無い「短命」な地球文明の終焉となってしまう。
まとめとして言える事は、私たちの知りえた物理学的法則で宇宙の時空が成り立っていると仮定し、天文学上の観測結果を知覚として頭脳にインプットできるこの大宇宙では、どの恒星系の地球型の惑星上であれ、知的進化を遂げた生命体は、その母惑星の「生態系保持の重要さ」に気づく時期に達しても、至便化文明発達の途上の事とみなし、さらなる地表の加工や、汚染源物質の放出、素粒子レベルの物質いじりをやってのけ、その惑星の知的文明の「社会進化のピーク時」の見極めには、どの国家の政治形態も為政者も無力であり、一部の科学者や賢者が気づいても、「時既に遅し」であり、全てが「手遅れ」にしてしまわざるを得ないような、「必然的宿命を持ってしか進化し得ない」のではないかという事である。
そうなると、系外惑星におけるより賢い知性体は、母惑星の「知的文明のピーク時 = 母惑星の生態系破滅の手前(文明終末期)」において、スペース・コロニーを備えた超巨大な宇宙船団を建造し、宇宙空間を漂うしか、「種族と文明の保持」を成しえない事に気づき、そのような生存手段をとっている可能性がある事を否定できない。
UFOや空飛ぶ円盤はともかく、宇宙にはそのような「ジプシー」は存在するのかも知れない ・・・。
(原著:1997年3月、松高通信・212号 掲載、2010年2月11日、加筆・修正)