第4回:足元にあるかも知れない金のお話し

 「金」と言えば、まず貴金属としての高価な宝飾品や、燦燦と輝く金塊を思い浮かべますね。さらに昔の貨幣である大判、小判、そして外国の金貨など ・・・。古今東西、その輝きと重々しさが人々を魅了し続けて止まない「黄金」は、地球上において、正に揺らぐ事のない究極の財宝でしょう。

 

 私たちが、「純金の塊」を手にするには、宝石店などで高額な代価を支払って購入するか、僅かな情報を便りに埋蔵金を掘り当てるか、山野に分け入り金鉱脈を探すかしか方法がありませんね。庶民には「黄金」は高嶺の花であり、簡単に手にする方法となると、市井生活の中では、「金箔」か「金メッキ品」か「金合金の製品」ぐらいでしょう。ちょっと高価な純度の高いものとなると、指輪や金時計、金杯、金冠など、見渡せば金製品はいくらでもありますが、全て加工品ですね。

 

 私は、俗世間を離れ、埋蔵金、もしくは鉱物としての「自然金」(砂金、とじ金)を見つけたいと常々思ってはいますが ・・・。それ故、少し「金」のお話しをしたいと思います。

 

 金は、金属の中でイオン化傾向が最も弱い為、殆ど化合物をつくらず、「自然金」の形で産することが多い。古代は、川砂などの中から「砂金」を採取し、その優れた展性を利用し、器具や装飾品に加工して利用していたものと思われ、時にはナゲット(塊金)形で、かなり大粒のずっしり重い金塊が得られていたに違いない。奈良の大仏建立の際にも、金メッキの為のアマルガムをつくる必要性から、全国から水銀とともに砂金が集められたはずである。おそらくはその頃から、日本列島の隅々まで多くの「砂金堀り」が跋渉したものと考えられる。 後年著名になった北海道の砂金も、既にアイヌの人たちには周知の事だったに違いない。

 

 その後、さまざまな金属の発見とともに、金属鉱物の鉱脈も次々と発見され、鉱山が開発されるに及び、金は主として浅熱水性鉱脈に産し、多くは「銀黒」(輝銀鉱等の密集した鉱石)に伴い、陶器状や玉髄質石英脈の中に自然金の微粒子として含まれる事が判った。無論、山吹色の金ピカの粒子であるが、似たような産状を示す鉱物が複数あり(黄鉄鉱や黄銅鉱など)、素人目には見分けがつかない。鉱山では時に、鉱脈内の空隙(晶洞や晶腺)に結晶粒の連なった樹枝状の集形を成して晶出し、「とじ金」(山金)としても採集された。

 

 火山国である日本列島は、北から南まで広く産金が知られており、金山や砂金の伝承が全く無い県は皆無と言ってもよい。はてさて、三重県はどうであろうか。三重県下では、昭和50年代まで、全国有数の銅山の一つであった 紀州鉱山(石原産業株式会社)において、主産鉱石である黄銅鉱、方鉛鉱、閃亜鉛鉱、黄鉄鉱等に微量成分として含有される金を回収し、副産物として生産していた。

 

 また、北勢では、明治の初期まで稼行していた治田鉱山(銀・銅山)と多志田銀山があり、ともに古くから開発され、一時は産金もあり、特に青川上流の治田鉱山跡においては、数多くの坑道跡とともに当時の大規模な鉱山集落の施設跡が残存しており、粗悪な灰吹き法による精錬カスのスラグ(鉱滓)も転石にまみれて散乱する。これらの中には、わずかながらも金、銀を含有するものがあると思われる。青川ではかつては砂金も採れ、ソフトボール大のナゲットが拾われたとの言い伝えもある。

 

 他では、北牟婁郡紀北町海山区の船津地区で、金の試掘があったらしく、往古川の上流に金の共存鉱物でもある輝安鉱の鉱山跡が残存する。ここの輝安鉱は陶器状石英脈に伴って産し、各地の金山の鉱脈に似た浅熱水性鉱脈である。地元では、昔、往古川で砂金が採れたと言い、今も地下には金鉱脈が眠っていると言っている。

 

 さらに、記述の紀州鉱山の周辺地域には、熊野酸性岩体に伴う熱水性の金属鉱物の鉱脈がたくさんあって、銅鉱石以外の試掘跡や小規模鉱山の跡が散在する。そのひとつ、熊野川支流の楊枝川流域が有望な産金地帯としてクローズ・アップされているが、既に昭和初期に、白石楊枝鉱山や天瀬鉱山等があり、数条のAu−Ag鉱脈を対象に稼行され、産金のあった事が記録されている。

 

 中・南勢地域では、埋蔵金以外には殆ど産金の伝承は無いが、古代より水銀の一大産地であった多気郡多気町丹生の地山には、「丹生の水銀鉱山」跡があり、当地を中心に、中央構造線に沿う鉱化帯が東西に延びている。当地一帯の鉱床群は、中央構造線の内・外帯も含め断続的に東西に広がり、Hg−Sb−As帯の他、外帯にはCu−Py帯やMn−Fe帯があり、第三紀の瀬戸内火山帯の火山活動に起因する鉱化作用によるものとされ、その範囲は、西は高見峠付近から、飯南郡を経て、伊勢・二見・鳥羽・志摩地方にまで及んでいる。

 

 この中央構造帯の各鉱山(跡)からの産金は、全く記録例が無いが、古い宮川上流流域の「観光地図」(大正13年6月、三重県多気郡教育会・山岳部 発行)を見ると、宮川上流の父ヶ谷付近に鉱山マーク(父)があり、「銀山」と書かれている他、伊勢市内においては塩基性深成火成岩体の貫入があり、これに伴う浅熱水性の苦灰石−方解石−玉髄脈が複数の採土場において観察され、若干の辰砂や硫化鉱物(主に、黄鉄鉱)の鉱染を見る。埼玉県の長瀞では、同様の鉱脈に由来する砂金が産出しており、伊勢市内に「自然金」が出てもおかしくはない。

 

 以上、まとめてみると、三重県下の有望な産金箇所としては、次のようになる。

  1. 紀州鉱山の周辺一帯 --- 特に楊枝川とその流域(主に、南牟婁郡)
  2. 青川上流(治田鉱山跡)、及びその周辺の鈴鹿山脈(北勢町、大安町、藤原町)
  3. 往古川一帯(紀北町海山区)から南伊勢町東宮付近までの熊野酸性岩体の周辺地域
  4. 中央構造線に沿う鉱化帯
  5. 熊野川、及び熊野地方の砂浜海岸(砂金)

 しかし、金は葉蝋石に伴うケースや、ペグマタイト中にも産し、また、河川や海浜等、流水中で砂金や小粒のナゲットとして集積、融合していたりするなど、かなり気まぐれに振舞う故、上記以外の場所においても産する可能性があり、注意を要する。

 

(原文:2005年作成、2010年2月12日 加筆・修正)

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